昭和30年だったと思う。一戸建ての家は今では基礎コンクリがあたりまえですが、当時は要所に束石、上下水道もなし。台所には板とブリキで作った流し台だけ。その横にカメ石。水は道路向かいにある共用の水道から。壁にはコンセントなどは無し。部屋の真ん中にぶら下がった裸電球が1個。電気の配線は碍子を使った並行線。部屋の間仕切りはフスマか障子。床は台所と居間のみが板で、あとはタタミ敷き。2階は6畳2部屋、1階は8畳の座敷が2間。窓は一重のガラス戸。風が強いとこれがガタガタとうるさい。暖房は居間に1個の薪ストーブ。電気製品はラジオだけ1台。いわば画に書いたような安普請。兄弟は5人で、いま生きているのは私とすぐ上の姉だけ。
これが富良野市山部の山麓にある石ころだらけの田畑を売り払い、離農して登別に建てた家の、オヤジが建てた精一杯の家です。だから今の様な全てが揃って家全体が暖かい、戸建ての常識にはあてはまらないのです。
ガラケイジョシさんが優しくフォローしてくれましたが、本当に記憶違いなどではなく、30万円で建った家なのかもしれません。
ちなみに山部の百姓をしていた時の家は、居間にたった1個の裸電球、あとの部屋にはランプが1個づつ。あとは言わずもながです。ランプの黒いススのホヤ磨きは小さな子供の手が必要で、もちろんアタシの仕事でした。その頃を思い出すとナミダもんで・・・ こんな話はこの欄には相応しくないので、いつか別の機会に。